テンプレに飽きた人に送りたい小説家になろうオススメ作品

とりあえず読んで損はないと思われる作品貼っときます

 

【Under Ground Online】

作者:桐月悠里

https://ncode.syosetu.com/n7745bx/

あらすじ

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――全ては、たった1つのゲームから始まった。

これは、仮想世界での経験と出会いを経て、現実世界までもがひっくり返っていく、白井狛乃の激動の冒険譚。

テンプレに飽きた人にも、VRはもういらないという人にも――あなたの概念を覆してしまうような作品を。

リアルな仮想ゲーム世界と、ファンタジーな近未来現実世界からお送りする、新感覚のロジカル現代ファンタジー、――お楽しみください。

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VRMMOモノだけど現実世界がSF風ファンタジーなためジャンルはローファンタジー

あらすじの通りゲーム世界と現実世界の両方とも重要で双方の世界を冒険していく

別にデスゲームだったりゲームで強くなると現実でも強くなるとかいったことはないけどゲーム世界で得た精神面の変化やゲーム内での付き合いは登場人物それぞれの現実まで動かしていく

物語はテストプレイからスタートするがテストでの年齢制限25才以上正式サービスでも18才以上のため子供のプレイヤーが存在しない

ちなみに主人公は28才半陰陽盲目で失声症顔に火傷跡ありと凄まじいがただの作者の不幸好きとかじゃなくストーリー上意味があるため安心して読んでいい

スキルとかはあるけどあまりごちゃごちゃしたスキル説明なんかはあまりないため長すぎるスキルやステータス欄に辟易してる人でも安心(序盤はちょっとあるかも)

 

ギスギスオンライン

作者:ココナッツ野山

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/

あらすじ

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 VRMMO。それは余りにもゲームとして破綻していた。VRMMO。その同意規約はまるで全てを諦めろと言っているかのようだった。
 未知の技術。怪しい会社。得体の知れない運営ディレクター。自分の身体に何が起こっているのか分からない。きっとエロい妄想もデータ化して保存されている。それでもゲーマーたちは進む。そこにゲームがあるから。上腕式スポットアーム型の専用ハードに腕を通し、ログインしていく。謎の発光物体を握り締めて。
 これは、とあるVRMMOの物語。
 2nd.シーズン開幕。身体は闘争を求める。
 バレンタインイベント開催!大怨霊を討伐しモテない男たちの怨念を解き放て!

        ※ 大怨霊に関連する質問はイベントの内容に関わるため答えかねます。あらかじめご了承ください。

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あらすじの時点でわかるように笑って楽しめるタイプの作品

ただ時々突如としてクライマックス感のあるシリアスに突入する

一人称視点で主人公が語り倒してくる

ここまでイタさやクサさを感じさせないコメディを書ける作者は鬼才

VRMMO物だが時代は完全に現代でタコ足の生えてる暫定エイリアンが人類には理解できない謎技術で作った物

主人公を含めたプレイヤー達の多くがこれはあくまでもゲームだという意識を持っている点が珍しい

それぞれのキャラに強い個性・魅力があり、中でもここまで面白い主人公はいないように思う

 

鬼人幻燈抄

作者:モトオ

https://ncode.syosetu.com/n4442da/

あらすじ

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『人よ、何故刀を振るう』

 江戸時代、まだ怪異が現代より身近で鬼が跋扈していた頃のこと。
 江戸より百三十里ほど離れた山間の集落“葛野”にはいつきひめと呼ばれる巫女がいた。
 護衛役である甚太はいつきひめの為に刀を振るうが、何一つ守れず全てを失う。
 巫女を、惚れた女を殺したのは大切な妹。
 彼女は百七十年後、全てを滅ぼす鬼神となって再び現世に姿を現すという。
 憎しみから鬼となった甚太は、何を斬るべきか定まらぬまま、遥か遠い未来を目指す。
 
 鬼に成れど人の心は捨て切れず。
 江戸、明治、大正、昭和、平成。
 途方もない時間を旅する、人と鬼の間で揺れる鬼人の物語。

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泣ける系

鬼神を倒すまでの主人公の人生が江戸明治大正昭和平成と多くの時代を経て描かれていて、長い時代の移り変わりをよく感じさせてくれる

鬼となり長大な寿命になったことで多くの出会いと別れがあるが別れたらそれっきりではなく何か残るものがあったりする

全てがうまくいく系の話じゃないんでもしかしたらメンタルが豆腐すぎる人はダメかも

 

 

異修羅

作者:珪素

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882641261

(カクヨムのURL)

あらすじ

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地平の全てを恐怖させた世界の敵、“本物の魔王”を、何者かが倒した。
その一人の勇者は、未だ、その名も実在も知れぬままである。
恐怖の時代が終息した今、その一人を決める必要があった。

世界最大の都市――黄都を目指して、強者たちが集いつつある。
そこで勝ち進んだ一人が、『勇者であった』ことになる。
これより始まる新時代に、英雄の偶像を作り出すための大試合である。

二十五年の長きに渡り、魔王に苛まれてきた、遥か果ての現実。
一つの脅威を前に全種族が強さを求めた時代は、あるいは魔王以上の脅威を産んだ。
彼らが求めた物語が唐突に終わりを迎えた時、そこには闘争の場を求める修羅だけが残る。

――今、修羅の名は十五名。
柳の剣のソウジロウ。
星馳せアルス。
世界詞のキア。
無尽無流のサイアノプ。
静かに歌うナスティーク。
地平咆、メレ。
音斬りシャルク。
絶対なるロスクレイ。
不言のウハク。
魔法のツー。
冬のルクノカ。
黒曜、リナリス。
窮知の箱のメステルエクシル。
おぞましきトロア。
逆理のヒロト
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なろうは更新が止まっているためカクヨムのURL

最強達による最強を決めるためのトーナメント

最強議論が好きな人や中二の心を忘れない人におすすめ

最初のキャラを紹介するための話がかっこよすぎてあまりにも強く中二心を揺さぶってくる

ちなみにただ戦うだけじゃなくて色々と陰謀があったりする

 

表現の不自由展 (in あいちトリエンナーレ)と騒動の正しい見方

 

 大きな誤解と恣意的解釈、手落ちによる喜劇

 

「あいちトリエンナーレ2019」における1つの企画「表現の不自由展・その後」が話題になっている

https://aichitriennale.jp/artist/after-freedom-of-expression.html

上のリンクを見れば分かる通り、過去に公立の美術館などで展示拒否された作品をその理由と合わせて展示することで表現の自由を考えようとするものである(後述するが、ここで言う表現の自由とは「表現の自由があるため何でもやっていい」というものではないことに注意)

このように大きな意義があるとは言え挑戦的な企画である関係上、物議を醸す(議論を引き起こす)ことは避けられない(というかそれが目的)とは言えそれにしても考えられないレベルで炎上してしまい、最終的には実質の放火予告を受け中止されるに至ってしまった

なぜこうなってしまったのかを見ていくことにしよう

 

騒動の大きな原因となったのは、 「平和の碑(慰安婦像)」と、昭和天皇を写した写真に火をつけた後に踏みつける映像、なのは間違いないだろう

なぜこれが問題となってしまったのかと言えば、前者は「韓国による反日の象徴」として、後者は「日本の象徴への攻撃=日本人への侮辱」として、つまりは両者セットで「芸術や表現の自由を盾にした反日プロパガンダ」であるとされ、熱心な保守層が強く反発したからである(この2つ以外にも保守層を煽るような展示があったことも付け足しておく)

ある程度以上分別のある層は、「私的なイベントとして行うなら文句はないが、公費を利用しての芸術イベントで反日プロパガンダをするのはおかしい」と主張しており、確かにその感覚は多くの国民が納得できるものだろう(私的なイベントであれば「表現の自由」が適応されるが、公的なイベントでの政治的偏向はアウトであり表現の自由で押し通すことはできないという感覚)

ただそれらは、「表現の不自由展・その後」は反日プロパガンダである、といった前提のもとで成り立つものだ

最初の方で書いた通りこの展示の目的は、表現の自由を考える、というものであり、決して反日プロパガンダなんかではない

ここでいう「表現の自由を考える」とは「表現の自由があれば何でもやっていい」ではなく「私たちには表現の自由がある、だからといって時にはそれが制限されなければならないこともある(例:ヘイトスピーチの禁止)  この表現の自由とそれが受けなければならない制限とのバランスをどこでとるか、は今日において大きな問題である、にも関わらず充分な議論がなされていないためより国民が興味を持って考えなければならない」ということである

つまり、作品にある程度の問題があることなんか主催者側も分かっているのだ(問題があると言っても取りざたされた2作品(慰安婦像と昭和天皇に関する映像)などが反日プロパガンダだと言っているわけではない、そう言った見方が出ることは分かるが少なくともそれだけに還元される作品ではないだろう、問題作である理由や作品が持つ意味を考えなくてはならない、勿論その結論が「あの作品は反日プロパガンダであり不適当」であってもいいのだ、重要なのは考え議論することだ)

その上で、それらの作品が許されるべきなのか、どこまでが許されてどこからが許されないのか、を考えてもらうことを期待していたのだ

このことは今回のイベントにおける芸術監督である津田大介氏も語っていることであり、決して私個人の妄想なんかではない ↓

https://aichitriennale.jp/news/2019/004011.html

https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2019080202100041.html

これが冒頭で書いた、大きな誤解と恣意的解釈である

この点で言えば一部のリベラルも誤解していると言わざるを得ない

一部のリベラルとは「表現の自由があるのだから全ての表現が許される」といった主張をする勢力のことであり、もしそれを許すのであればヘイトスピーチも許さなければならないだろう

ヘイトスピーチ表現の自由の延長線上にあり、それだけを無条件に除外することはできない、表現の自由を全面的に認めておいてヘイトスピーチを否定するのはダブルスタンダードである

ここですべきなのは全面的な表現の自由を盲目的に主張することではなく、どのような制限を設けたらヘイトスピーチやその他の社会的悪をなくす事ができるかなのだ(勿論その幅は個人によって意見が変わるところであり、活発な議論が必要とされる)

慰安婦像の意義を主張する人達も今回の趣旨に沿っていない、慰安婦問題について話すことを否定はしないがあくまでもメインは表現の自由を考える事であり、慰安婦の話題を第一に取り上げるのは「表現の不自由展・その後」の意義を薄れさせ、流されてしまいやすくしているという事実を頭に入れておくべきだ

慰安婦問題について話すのは出来るだけ別の機会にしていただきたい

 

ただ、今回のような結果になったのは何も受け取る側だけの問題ではなく、主催者側にも大きな手落ちがあった事も付け加えなければならない

それは正直展示内容が偏っていた事である

表現の自由を考える事をお題目に掲げている以上、展示する作品は多岐にわたるものであったべきだ

右も左も、セクシズム的なものやエロいものだったり、宗教や人種に対する侮辱、男尊女卑やその逆であったりといったものでもいいだろう

とにかく様々な分野で問題とされる表現は存在しており、それらをタブーなく投げつけることこそが「表現の不自由展・その後」が本来やるべきことであったのだ(シャルリー・エブド襲撃事件や『悪魔の詩』を巡る騒動を考えると完全にタブー無く作品を展示することは難しいが、少なくともそういった騒動があった事を大きく取り上げるべきだろう)

しかし、実際に展示されたのは保守派層にとってタブーな事(彼らの感覚で言う「反日プロパガンダ」)がほとんどであり、他のタブーにはあまり触れなかった(全く触れなかったわけではない、《表現の不自由をめぐる年表》には、イスラームを侮辱したことに端を発するシャルリー・エブド襲撃事件、アニメ化が決定していた『二度目の人生を異世界で』が、作者が過去に中国や韓国への差別発言をしていた事を掘り起こされてアニメ小説ともに消された事、LGBTへの配慮で『境界のないセカイ』(漫画作品)が連載中止になった事、研究書がわいせつ物扱いされて有害図書指定されたことなど他にも様々な事件が記されているのだがいかんせんスペースが小さすぎる)

主催者側の事情として、過去に展示拒否された作品を展示するといった関係上展示拒否された作品にそういったものが多かった可能性はあるし、1つの分野に絞った方が議論しやすいといった事情はあったのかもしれない、主催者側の思想が偏っていたのかもしれない(勿論ここに挙げたのはあくまでも想像である、)しかしどのような事情を考慮しても全方位に向かってある程度平等に喧嘩を売るべきだっただろう

そうしなかったことで「反日プロパガンダである」とするレッテルを貼られてしまった現状を見れば明らかであり、こうなってしまうと本来の趣旨が見えなくなってしまうのだ

正直言って大失敗だ

もう少し時間があれば丹念に説明してそのレッテルを引き剥がす事が(万に1つは)出来たかもしれないが、もうすでに脅迫によって中止されてしまっているのだ

ちなみに、「表現の不自由展が中止されたことで表現の不自由展が完成した」などと言う者がいるが私は賛同できない

正確に言えば、そのような言説自体は分かるのだが、右派vs左派という図式の上でそう主張することは明確に拒絶する

「表現の不自由展・その後」は議論を深め、対話によって対立を解消するためにあるのであって、右派と左派の対立を深めてしまう言説をしてしまうのは趣旨に反するどころの話ではない(先ほどまでの説明で分かっていただけると信じている、ついでに言えば機会があって津田大介氏の本を一冊読んだことがあるのだが、そこで氏は社会の両極への分断をしばしば危惧していた)

そのような事を言いながら「#あいちトリエンナーレを支持します」なんか付けるのだからたちが悪い

自分たちが何よりの邪魔になっていることに気づいていないのだろう

ただ、そんな中でも今回の騒動で異論なく手を取り合える部分があるだろう

それは脅迫という行為を許してはいけないという点である

これは1つの希望であり、この点においてでさえ意見が一致することがなくなればもう終わりだろう、そうなる前にどうにかしなくてはならない

 

最後にちょっと敬体で書きます

ここまで思ったことを偉そうにつらつらと書いてきました、自分の言ってることが全て合ってるなんて思ってはいませんが、少なくともこれだけは言えます

それは「もう少し考えましょう」っていう簡単なことなんですよ

自分も相手も同じ人間なんです、しかも同じ国に住んでいる上に、身分なんてないんです、相手と全く分かり合えないなんてことがあるわけないんですよ

それなのに嫌いなものをちょっと見ただけで思考停止的に自分の領分から批判するなんて悲しくないですか?

しかも今回の趣旨は、考えて、議論して、相手を知り、意見を擦り合わせていくことが目標なんですよ

そんな場で逆に対立を深めるなんて皮肉にも程がありませんか?

グダッた部分も多いと思いますし、文才の足りなさから色々と不安はありますし、こんなの読んでくださる人がいるのかは分かりませんが最後まで読んでいただきありがとうございました

あなたにより良き未来が待っていますように